東京高等裁判所 昭和40年(う)487号 判決 1965年6月14日
主文
原判決中有罪部分を破棄する。
被告人を禁錮一年に処する。
原審における訴訟費用は、被告人の負担とする。
理由
(控訴趣意)
弁護人大塚今比古提出の控訴趣意書の通りであるから、これを引用する。
(当裁判所の判断)
一 控訴趣意第一点の一について。
所論は、原判決が、故意犯である酒気帯び運転について、それが酩酊により心神耗弱と認むべき状態において犯されたことを認定しながら原因において自由な行為の理論により刑法第三九条第二項の適用を排除して処断したことをもつて法令の解釈適用を誤つたものと主張するものであるが、同理論は過失犯の場合には故意犯の場合に比して適用が容易であり、したがつて過失犯の場合にその適用を見る実例が多いことは否定し難いところであるけれども、理論的には同理論の過失犯の場合にのみ限定されるものではなく、改正刑法準備草案の規定をまつまでもなく、現行刑法の解釈論としても、要件さえ具われば故意犯の場合にも適用があるべきものであり(最高裁判所昭和二八年一二月四日決定、判例集七巻一三号二、六四六頁、名古屋高等裁判所昭和三一年四月一九日判決、判例集九巻五号四一一頁参照)、しかもこの理論は、心神喪失中の犯行のみにとどまらず、心神耗弱中になされた犯行についてもその適用を排すべきでないと解されるから、原判決が、故意犯である本件酒気帯び運転(正確には、酒酔い運転。以下、同じ。)について、飲酒後自動車を運転しようとの意図をもちかつ飲酒により酩酊するであろうことを認識しながら飲酒した結果高度の酩酊状態に陥り正常な運転ができない状態となつて自動車を運転したものとして、犯行時酩酊により心神耗弱と認むべき状態にあつたことを認定しながら、原因において自由な行為の理論を適用して刑法第三九条第二項による刑の減軽をしなかつたことをもつて違法な措置とすることは当らないといわなければならない(ことに、本件のように酩酊状態における自動車の運転自体が罪とされる場合において、酩酊のうえ自動車を運転すべき意図認識の下に飲酒をあえてした結果犯行に及んだとき、酩酊により精神障害を生じたとして刑事責任の減軽を認めるようなことは、その罪の性質にかんがみとうてい合理的であるとは考えられない。)。
以上説明の通りで、論旨は理由がない。(その余の判決理由は省略する)(足立進 栗本一夫 浅野豊秀)